今日も仕事に行った。新聞屋に折り込みチラシを持って行ったりした。あとは暇だった。明日は棚卸しだ。ヒイヒイ言っちゃうよ。がはっは。
今日もアヴァロンさんを弾いた。なんか名前付けてあげないと、いつまでもメーカーの名前じゃかわいそうだな。あば子さんとかどうだろう。いやそれはだめだ。飲み会でもそんなネタは使えない。使ったら負けだ。人間的に負けだ。なんだい、人間性に優劣などあるのかい? ハン、あるに決まってるだろう。きれいごとだけじゃ生きていけないんだよ。
今日は洗濯をした。洗濯物を干しながら、あと先に洗濯バサミの恐怖から解放しておいたやつをたたみながら、今日読んだ水滸伝の人物が死んだことと、テレビでやってた嘉門達夫の親友が死んだことを思っていた。
最近はzabadakでもよく死を思う。誰かが近くで死んだりしたことはほとんどないが、死ぬことは当たり前のことで、なんでもないことだなあと改めて思った。死に心を動かすのは、人間だからだ。
僕は死んだら多分ギターも弾けないし散歩もできないので、だったら死ななくてもいいなあ、と思った。
あと精々、長くて50年か60年しか生きられないのか。
中学校に入学してから今までの長さを、5回か6回繰り返したら、死ぬのか。
中学校から今まで、俺はなんかやったかなあ。その長さを5回繰り返して、なにかあるのだろか。
そんなことを考えるのは無意味さ。でもたまにはいいよね。
いろんなことがどうでもよくなってくる気がするけど、どうでもいいことすらどうでもいい。
寝て起きれば、また明日になっているのさ。
寝たまま起きることがなくても、明日になっているのさ。
永遠に明日が来ることを、祝え、そしてまた呪え。
祝うも呪うも、紙一重さ。いや、表裏一体かな?
ところで三拍子は、死につながっている。

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